いそべ食堂

いらっしゃいませ!チャンポンの美味しい店愛南町のいそべ食堂です  お店の紹介や、お花、ペットの垂れ耳ヨークシャーテリアの未来(みく)の事など、日々感じた事を書いてます

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

東洋のマチュピチュ

20110703naruhira6
20110703naruhira8
別子銅山の続きです

鉱山観光の後、20人乗りくらいのバスに乗り換えて、お目当ての『東洋のマチュピチュ、東平ゾーン』(とおなるって読むんですね)へ、出発しました
かなりかなり狭い、くねくね山道…

方側は高い崖!
こわっ!!

運転手さんに一日何往復するんですか?って聞いたら、今日は6回だねって
坑道のある場所から、片道25分かかります

バスだけでなく、一般の観光の車もやってくるので、大変です
離合出来る所で、待ってる車が多かったですが、たまに鉢合わせします

私は一番前に座っていたので、わぁどうするんだろう?って思ってたら
慣れたもので、運転手さんが窓を開けて、手で指図
女性のドライバーさんが、ちょっとだけバックして、ハンドルをきって進んだら、ギリギリ通れました

私の運転なら、今頃谷底だね…
(-。-;)

東平は大正5年(1916)から昭和5年(1930)まで別子銅山の採鉱本部が置かれて、昭和43年の東平坑終掘まで、山の町として鉱山で働いていた人の住居のあった場所です
5千人ほどの村だったそうだから、山の中とはいえ、かなりの繁栄だったんですね

歴史資料館には、昔の写真やジオラマが展示されていて、従業員の社宅、学校(小中学校、保育所)、病院、郵便局、接待館、索道、電車駅、選鉱場、神社、寺などがあり、栄えていた事が分かります

そうそう芝居小屋などの娯楽場もあったそうです

明治35年に貫通した第三通洞(約1,800m)と明治44年に完成した日浦通洞(約2,000m)を利用すると、鉱山鉄道の籠電車で東平~日浦(別子山村)間を僅か30分で通り抜けたと、ガイドさんの説明がありましたが

この籠電車(写真撮るの忘れました)は、まるで荷物を運ぶ電車で、ちょっと乗りたくないわ!
 
(;一_一)


一枚目の山の向こうは、新居浜の市内が見えるのですが、この日は曇ってて写真には写らなかったです
まぁ、曇ったお陰で、暑さがましだったので良かったですけど…

写真の鉱石を貯蔵する場所へは、220段の階段を下ります

この階段、昔はインクラインと呼ばれ、端出場から索道で東平へと運ばれてきた物資を荷揚げされていた、傾斜面を走る軌道です

東洋のマチュピチュ…って言うには、ちょっとおおげさかな…とは思いますが、この山の中にこれだけの物を作った、技術や根性はすごいです

ツアーに行ったのが7月3日、愛南町ではもうとっくに紫陽花は終わっていたのですが、ここは満開でした

金糸梅も綺麗に咲いていました
東平が繁栄していた頃も、こうして可憐に咲いていたのでしょうか…

まだ写真があるので、次回に続きます
20110703naruhira10
20110703naruhira5

| ときどき日記 | 20:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://isobe0183.blog19.fc2.com/tb.php/646-5a552aed

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。